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2019.10.6 取手校ゼミ「芸術の秋:展覧会・イベントレビュー大会」後半

2019.10.6

知ったか大学 取手校 2019.10月ゼミ 

「芸術の秋:展覧会・イベントレビュー大会」

(ログ担当:石渡)



10月ゼミ「芸術の秋:展覧会・イベントレビュー大会」の

ゼミ生のレポートをご紹介します。

ゼミ生の個性あふれる、ジャンルも様々な楽しい内容になりました。

 

ゼミ生S

紹介した催し:毎日オークション(東京) https://www.my-auction.co.jp/



内容:

この前のゼミでコンテンポラリーアートのマーケットのお話がありました。美術業界は大きくセカンダリーとプライマリーの二つの取引があり、ギャラリーが直接アーティストと契約して作品の売買を行うのがプライマリー、来歴のある作品の売買がセカンダリーになります。セカンダリーマーケットでは市場価格を安定させる意味もあって、日常的に美術品や骨董の交換会やオークションが行われています。取引が多い作品は市場価格が安定し予想の取引価格を立てることができます。オークションではそれを予想落札価格(エスティメート)と呼ばれます。競売参加者はそれをもとにパドルと呼ばれる札を上げてオークショニアに競る意思を表示します。ネットオークションとは違い、基本的に業者取引がメインの世界なので値段設定は低めです。基本ジャンルは絵画・版画・写真・立体、書・茶道具・骨董・陶芸・刀、西洋アンティーク・陶器・家具・ガラス工芸、ジュエリー・時計、などがメインです。


石渡コメント

アートマーケットで働いた経験もあるSさん。先日の松下徹さんのお話もそうですが、未知の領域のアートマーケットという世界を紹介してくれるSさんの発表は驚きの連続でした。毎日オークションの出品作品集も持ってきてくださり、みんなで拝見しました。そのジャンルの多さと、このボリュームの作品が毎週取引されていることに驚嘆の声があがりました。出品作品集には、落札開始価格が記載されています。価格が「成り行き」というものもあり、作品によっては5,000円程度で購入できるものもあるそうです。憧れのあの作品が、ちょっと頑張れば買えるかも!と、色めき立ってしまいました



 

ゼミ生 石渡

紹介した催し:

知ったか大学 夏の修学旅行 2019 大地の芸術祭の里(新潟県 十日町市) 





内容:

修学旅行のレポート(https://static.wixstatic.com/ugd/dd851d_4950fc766ec54c8bb2796419165598ed.pdf)の内容を中心にお話しました。

言うなれば、レポートは、修学旅行の課題、『「アート」と「アートではないもの」、また「そのどちらでもないもの」があるとすれば』 という問い、そして、その問いに答えるために新たに生まれた、「アートとは何か」「私はなぜアートが好きだと感じているのか」に対する私なりの解を得るための思考の軌跡でした。修学旅行やレポートの執筆作業を通じ、今までアートとの関わり方の棚卸をし、今後どうアートと関わっていきたいかを見直す機会となりました。そして、「私はなぜアートが好きだと感じているのか」という問いに対し、「何かを受け取って、それに対して、私はどう感じて、それを受け取ったことで、私の 何が変わるのか、変わらないのか、その過程を丁寧に丁寧に感じ取っていきたいのだ。」というひとつの答えを得ました。そして、これから、感じることと、考えること、そして、願わくばその過程を自分の言葉に残すことを、アートを通じてやっていきたいと感じています。その先に何があるかは、まだ分からないけれど、きっと今見ている景色の裏側が見えるかもしれないと思います。


発表後に、学長から『「アート」と「アートではないもの」、また「そのどちらでもないもの」』の定義に対し、自分の思考の裏側にある思考の存在を意識すると良いというフィードバックを受けました。「アート」を定義するため、私は「接する者の感情」を一つの軸に、そして「快・不快」をその尺度として、「快」は「アート」であり、「不快」は「アートでない」としました。しかし、その「快・不快」が逆のパターンもあるのではないかということ。それに出会う前の自分には戻れない、心に何か傷をのこすもの、それがアートだという方もいるそうです。すぐにわかりやすい正解を求めてしまうことの危うさを知り、あいまいさに寛容であることがより生きやすい世界を作る、その一端を担うのがアートであるように感じ、考えていきたいテーマがまた見えてきました。


 

ゼミ生K

紹介した催し①:中之条ビエンナーレ(群馬県中之条町)



内容:

群馬県中之条町にて150組のアーティストが参加した国際芸術祭。今年は"気配"をテーマにした表現が目立ったように思う。気配とは曖昧で、五感と想像力をフル稼働させて初めて知れるものなのでは?ならばアート作品を通じて何らかの気配を探る行為は、SNSやネットワークの発達により、その場にいなくても"見る"ことだけは可能な現代社会に対するアンチテーゼなのだ!などとつらつら考えながらの小旅行となった。ボランティアの方々の意識は高くおもてなしが心地よかったが、関わっていない方との温度差を感じ、盛り上がりに欠けたことも否めない。中之条という素晴らしい土地柄を生かして、今後も継続、発展していくことを願う。



紹介した催し②:森美術館「塩田千春展 魂がふるえる」



内容:

作家は「不在のなかの存在」をテーマにしていると語っている。確かに不在、欠落、喪失…何かが足りていないという欠乏感が創作の源なのだと強く感じた。"無"や"空"という不在のイメージの中に、存在を明確に表現するため、血液や泥といった有機的なモチーフを用いるのだろうか?とても生々しくグロテスクな印象が強烈だった。物質の集積や集合といった表現も、空虚を埋めつくし満たすことで、そこに見え隠れする人々の痕跡や記憶が存在として際立ってくるのだろう。 私にとってはとても緊張を強いられる展覧会だったが、だからこそ目を背けず今後も自分なりに向き合っていきたいと思った。



紹介した催し③:森アーツセンターギャラリー「バスキア展」  https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/basquiat/



ずっと『ねじ伏せる』という言葉が頭から離れなかった。線に勢いがあって迷いがなく、確信を持って描いているのだと思った。だが、描きなおすことが多々あったと知り意外に感じた。描く内容も個人的な鬱憤などかと思っていたが、政治的・社会的なメッセージが強く、とてもクールな印象を受けた。不勉強な私はイメージを何度も覆され、ジェットコースターに乗ったかのような高揚感と疲労感を覚える展覧会だった。日本人有名社長が高額落札したことが話題になりがちだが、それがどうした!と"ねじ伏せて"しまうような力強いエネルギーと、きっかけはそれでもいいからもっと俺を見てよ、という懇願のようなメッセージも感じた。 石渡コメント

連絡担当の私の手違いで、ゼミ生Kさんには今回のゼミの内容の詳細が届いておらず、当日最近見た展覧会などのことを急遽お話してくださる形になりました。でも、その中でも、それぞれの作品から感じたことを、しっかりと自分を言葉で丁寧にお話してくださいました。その姿から、日ごろからアートとしっかり向き合っていることを感じ、もっとKさんが見たもの感じたものをこれからもゼミで共有したいなと思いました。


 

ゼミ生S

紹介した催し①:

IHIステージアラウンド東京「BOUM ! BOUM ! BOUM ! 香取慎吾NIPPON初個展」 https://boum3.com/




内容:豊洲の360度観客席が回転する大きな劇場で開催。最初に映像を見てから絵を鑑賞するシステムです。展覧会のシンボル的なオブジェは触ることができたり、作者の手を型取ったオブジェと自分の手をARで合成できる等、鑑賞者が参加できる仕掛けが多くありました。壁面いっぱいに描かれていた壁画には圧倒。 時々慎吾さんが来て、描き足していたそうです。これまでアートに触れてこなかった人も楽しめる、いままでにないような展覧会でした。




紹介した催し②:十和田現代美術館「ウソから出た、まこと」




内容:

入館前から草間彌生作品や、かわいらしいオバケなどの展示があります。

北澤 潤さんの作品、インドネシアの自転車カーはエントランスとカフェスペースに展示。街中を走るイベントもあったそうです。

藤 浩志さんの作品は、ご自分の経歴を架空の人物を主人公にして再構築。どこまでが本当?と不思議な感覚に。

大人も子供もみんな楽しそうでした。



おまけのご紹介:しもだて美術館「江口寿史イラストレーション展 彼女」


内容:

取手から常総線一本で行ける!と知り、初めて行きました。

きれいで立派な美術館。展示はとても良かったのですが、休日にもかかわらず空いていて、もったいないと感じました。


石渡コメント

音楽への造詣も深く、独自の感性で、アンテナがピンと立った場所にフットワーク軽く訪れるSさん。今回も地元の隠れた名美術館から遠く青森、存在はよく知っているけれどアーティストとしての活動は今まで知らなかったスターの展覧会まで、Sさんならではの視点でご紹介してくださって、面白かったです。

 

学長 佐藤悠

紹介した催し:宇都宮美術館「水木しげる魂の漫画展」



内容:

連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の再放送を最近見ていたので、興味を持ち、美術館へ向かいました(この展覧会自体NHKが関わっているので、まんまと乗せられて行っちゃったわけです。フハッ!)。鬼太郎や悪魔くんなどの原画も興味深かったですが、最初のコーナーにあった少年期に描いていた油絵や、絵本の挿絵のような、我々がイメージする後年の作風からは離れた素朴な作品が、意外にも印象に残りました。

後半のコーナーには、「怠け者になりなさい」など、ほんわかと世を達観した格言めいた言葉がありましたが、今「ゲゲゲの女房」を見ている限り、心身を削って頑張り続けるハッスル水木像しか浮かんでこなくて、本当はどう思っていたんだろうかなぁと、ぼんやり化かされたような気持ちになりました。


石渡コメント

夢子ちゃんが出てくる「ゲゲゲの鬼太郎」ど真ん中世代の私ですが、水木ファンの方が、鬼太郎はただの勧善懲悪のヒーローではないと教えてくださったことがあります。悠さんの発表を聞きながら、善か悪か、何が正しくて何が間違っているか、白黒はっきりさせない、がむしゃらだけどのらりくらりという矛盾が、水木作品の深みの一つであり、多くのファンを得ている理由かなと思いました。

リアルタイムで「ゲゲゲの女房」を見ていたので、「これから、あんなことやこんなことがあるんですよぉ」と言いたくなりましたが、それは我慢しました。


佐藤追記: ゼミで発表後、他のゼミ生に「水木作品に非常に詳しい知り合いのマートン(仮名)さん」という方を紹介していただき、メッセージをやり取りしました。とても水木作品に愛のある方で、水木ビギナーの僕の疑問に解説、考察を踏まえて丁寧に答えてくださり、大変興味深かったです。なかでも「なるほどなぁ〜」と思ったやり取りがあって皆さんにも紹介したくなったので、一部ですが以下に追記します。

佐藤:質問 この間展覧会に行った時に、晩年の水木さんの言葉で「ナマケモノになりなさい」「よくねなさい」というような、のんきな格言がたくさんあったのですが、NHKの「ゲゲゲの女房」を見ている限り、水木さんはすごく徹夜しまくって身を削って猛烈に働いている姿しかイメージできないのです。この矛盾みたいなものってなんなんでしょうか?そうありたいという願望だったのか、実際はノンビリだったのか。。モヤモヤするのでご助言あれば教えてください。


マートン:返信

「なまけものになりなさい」とは

 水木先生がいつから「なまけものになりなさい」とおっしゃるようになったのか、正確な時期は分かりませんが、2002年発売の『水木しげる80の秘密』(角川書店)ではキャッチフレーズ的な扱いになっています。タイトル通り、水木先生80歳の頃です。

 一時期、水木先生の「幸福の七カ条」なるものがネット上でも話題になったことがありましたが、それはエッセイ本『水木サンの幸福論』(日本経済新聞社、後に角川文庫版も発売)が出典です。  

 そこでは、この言葉について「若いときはなまけてはいけないが、中年を過ぎたら時々なまけた方がいい」というようなことが語られています。これは水木先生が歩んできた道そのものでもあります。

 いくら描いてもお金が入らなかった貧乏時代においても、水木先生は睡眠時間だけはしっかり確保していました。それが、『テレビくん』という作品で講談社児童漫画賞を受賞(1965年)してからは、山のように仕事が押し寄せ、寝る時間が取れず、睡眠不足による耳鳴りやめまいに悩まされたといいます。その頃は仕事場の壁に「無為に過ごす」と書いた紙を貼っていたそうですから、なまけるというのは願望でもあったのでしょう。

 そのような中、ふとしたことから、戦争で送られたラバウルで仲良くなった原住民トライ族の人々と再会する機会を得ます(1971年)。その、昔と変わらないのんびりした生活に触れた水木先生は、働き方について考えを改め、仕事を減らすようになりました。


「時々はなまけたほうがいい」というのは、そのような経験から出た言葉なのだと思います。

 また、水木先生の奥様である武良布枝さんの自伝『ゲゲゲの女房』(実業之日本社)には、布枝さんが水木先生に「なまけものになりなさい」という言葉の真意を訊ねた時の様子が書かれています。それによると、

「“なまけもの”になれるように、努力すべきときにうんと努力しておけ」 という意味だそうです。

 水木先生と交流のあった小説家の京極夏彦先生は、糸井重里さんとの対談で、この言葉を「なまけていても食えるような人間になれ」という意味であると説明しています。 https://www.1101.com/suimin/kyogoku/2007-12-18.html

 水木先生は漫画の他に、妖怪画を掲載する画報の連載も持っていました。これは1970年代に画集や児童書などにまとめられました。

 また、前述の仕事を減らした時期とは別に、1981年頃から数年間、スランプからか連載が激減した時期がありますが、その間も、発表する先の決まっていない妖怪画を、手の空いたアシスタントに描かせていました。そうして描き溜められた膨大な妖怪画は、『水木しげるの妖怪事典』(東京堂出版)シリーズなどへと繋がっていきます。

 各地の伝承・民話などをまとめ「妖怪」として紹介し、妖怪というもののイメージを世間に定着させ、妖怪文化を広めていく。それによって妖怪漫画がより受け入れられやすい土壌を作る、ということを水木先生は自らやっていきました。その作戦は見事に成功し、今では妖怪を語るには水木しげるを避けて通ることはできない程の影響力になっています。  これは「なまけていても妖怪が金を運んでくるような仕組みを作った」と言えるのではないでしょうか。そのために地道に妖怪画を描き続ける労力を厭わなかったのです。

 水木先生は、出征直前の手記で「怠惰であってはならない」と何度も書いていましたし、漫画家としてデビューしてからも作者コメントの欄で「なまけ者が、一番キライです」と書いたこともありました。しかし、自伝を読むと、少年時代は寝るのが大好きで学校によく遅刻していますし、軍隊でもよく失敗し上官に殴られています。普通に考えればそれは怠惰であるように思いますが、水木先生の尺度では違うのでしょう。人には向き不向きがあります。だからこそ、自分を貫き通し、好きなことは徹底的に追求する、それが水木先生の哲学なのだと思います。


 

以上、3時間以上にもわたった、長い長いレビュー大会。濃密な時間でした。

近日またゼミを開催しますので、ご興味ある方は是非ご参加ください。


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