令和になって初めてのゼミが開催されました。
なかなか濃い目の内容だったので、今回は前後半に分けて掲載します。
2019.6.2
取手校ゼミ 2019 #1
(ログ担当:石渡)
取手校、今年度第1回目のゼミを開催しました。
初回から盛りだくさんの内容となりました。
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今回のゼミの内容はこちら。
1.ゼミ生Aからの発表
・作品を買うことについて-アートフェア東京2019-
2.佐藤悠さん・ゼミ生Sからの発表
・莇平 田植えレポート
3.佐藤悠さんの鑑賞プログラム実験
・反対話型鑑賞
・筆談でアタック4
4.知ったかART NEWS
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1.ゼミ生Aからの発表
・作品を買うことについて-アートフェア東京-
アートフェア東京に参加し、実際に作品を購入した体験をお話してくれました。
アートフェアとは、さまざまなアート・ギャラリーが一堂に会し、
各ギャラリーがおすすめの作品を展示販売する催しです。
アートフェア東京は、毎年3月に東京国際フォーラムで開催されています。
古美術から現代美術まで、ブースに展示が可能であれば表現技法も様々で、
幅広いジャンルの作品が出展されています。
ちなみに、今年のアートフェア東京2019は、
過去最高の29億7,000万円の取引が行われたそうです
(今回の「知ったかARTNEWS」より)。
ゼミ生Aがアートフェアに参加しようと思ったきっかけは、
転職した直後で、前職で頑張った自分へのご褒美に「アート作品を一つ買おう」
と思ったこと。そして、出会ったのが、
風間天心さんの「Borderline」。
彼はこの作品を購入することにしました。
神道や仏教の祝儀袋や不祝儀袋など進物用の包みを結びとめる
「水引」で作られた神棚です。
作者の風間天心さんは、アーティストであると同時に、曹洞宗の僧侶でもあります。
仏事でもよく用いられる「水引」を使い、神道の象徴である「神棚」を作る。
私は今回初めて風間天心さんの作品を拝見しました。
様々な宗教が混在し、独特な宗教観を持つ日本。
それを非難するのではなく、むしろ互いを認め合い、融合していく、
異なるものを非難するのではなく、それぞれの存在を認め、
そこから生まれるものを育てていこうとする温かさを感じました。
僧侶でもあり、アーティストでもあることで、
「芸術と宗教の相互性を求め」ているという風間天心さん。
アーティストの姿勢が作品に現れている、
作品は作った人の心を宿すものなのだと、改めて感じました。
ちなみに、風間天心さんは今年、「Funetasia」で岡本敏子賞を受賞しました。
この作品は「平成」という元号のお葬式で、受賞の展覧会では、
会期中に参列者から集められた「平成の終わりを機に手放したいもの」を
ご供養する供養儀礼を行い、その締め括りとして、改元前に寺院にて、
作品の祭壇を柴燈護摩によって焼き尽くす「お焚き上げ」も行われました。
ゼミ生Aが風間天心さんの作品を購入したのは、岡本敏子賞の受賞前で、
自らの目利きにちょっと誇らしげでした。
自身の経験を通じ、美術館の図録やアート作品のポストカードを買うことと、
作品そのものを買うことの違い、なぜ作品を買うのかという問いを、
発表の中で提示してくれました。
ゼミ生Aは、作品を買うことで、アーティストとのつながりができ、
応援することができると考えました。
彼が作品を購入したギャラリーはもともと彼の地元にあり、その存在を知っていて、
作品自体に惹かれたことはもちろん、このギャラリーが推しているアーティストなら、
自分も応援したいと思ったそうです。
購入した作品はアーティスト本人が届けてくださり、設置作業まで行ってくださいました。これには一同びっくり!
こういう経験も含めて、作品を買うということなのかなと思いました。
作品を買う目的。この作品自体が欲しい、
本物を置くことで家をセンスアップしたいなど、その目的は様々でいい。
「作品を買う」という行為は、思っていたよりも敷居は高くないと、ゼミ生Aは言います。
作品は美術館で「観る」ものという感覚が強いですが、
実はアートとの関わり方はもっと自由で良いのではないかと、
今回の発表を通じて感じました。
ゼミ生Aは、作品を「買う」という行為を通じて、
アーティストと「つながる」、アーティストを「応援する」という
「観る」だけでない関わり方を見つけました。
私も先日、どうしても家に飾りたいと思う小さな作品を見つけて、購入しました。
その作品はリビングに飾っていて、
それはアートと「暮らす」という関わり方なのかなと思いました。
ゼミ生Aも家に飾られた風間さんの作品をみると、「帰ってきたな」と思うそうです。
それもやっぱりアートと「暮らす」ことなのだと思います。
アートとの関わり方が自由なものであるならば、
一番典型的な「観る」という関わり方ももっと自由になれるのではないかと、
知ったかゼミの主軸の一つである鑑賞プログラムの展開にも、考
えがリンクしていきました。
2.佐藤悠さん・ゼミ生Sからの発表
・莇平 田植えレポート
2000年から3年に一度開催されている「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」。
その会場のひとつに莇平(アザミヒラ)という地区があります。そこにある廃校を拠点に、2003年から日比野克彦さんが「明後日新聞社文化事業部」という取り組みをしています。
大地の芸術祭や地域情報を伝える新聞を発行しており、現在も発行中です。
(と、一言でまとめては申し訳ないくらい、
過酷だけど当時その場にいた方たちがちょっとうらやましくなる
立ち上げからの歴史はまた改めて知りたいと思います。)
明後日新聞社の社屋は、朝顔でおおわれています。「明後日朝顔」と呼ばれるその朝顔は、
集落の方と一緒にできることをしたいということで植えられ、育てられてきました。
朝顔の小さな種は、今や日比野さんと一緒に全国を回り、
その小さな体に様々な記憶を携えながら、人と地域をつないでいます。
知ったか大学の佐藤悠さんも、
2009年から莇平で、毎年お盆の時期に「ゴロゴロ莇平」という活動を行なっています。
夏のゴロゴロだけでなく、
悠さんは「明後日新聞社文化事業部」が集落の方と共におこなっている、
四季折々の活動にも参加しています。
春の田植え、秋の収穫祭、冬の餅つきなどです。
そこで今回は、5月25-26日に開催された田植え&朝顔の苗植えに、
知ったかゼミ生も参加しました。
(その様子が早速「明後日新聞195号」に掲載されました。
参加したゼミ生Sが体験レポートをしてくれました。
その中で印象的だったのが、「濃さ」という言葉。
たどり着けるのか不安になるくらいの森の深さ、夜の暗さ。
虫のくっきりとした造形の美しさ。食べ物に満ちる活力。
季節の濃さ。命の濃さ。
日々何事もなく、何も感じることなく、通り過ぎてしまう、
食べる、寝るという行為そのものを丁寧に一つずつ進める必要があることで、
日々の生活を大切にしたい、「濃い命の使い方」をしたいと思ったとお話してくれました。
「その体験を通じて、何か自分の中で変わったことはありましたか?」という
他のゼミ生からの質問で、その場に豊かな展開が起こりました。
悠さんは、ある集落に入る前には、
不思議と川や橋など結界のようなものがあることが多いと、お話してくれました。
そこに通る時、日常の中でまとってきた色々なものを脱ぎ捨てて、
裸一貫で入っていくような気持ちになるそうです。
裸の自分で入って行ける、生まれ育ったふるさと以外の第2、第3のふるさとを持つこと。
もしかしたら、今ある世界が仮想の世界で、
結界の向こうのふるさとが現実なのかもしれない。
どれが本物かを決めないことで、人生の選択肢が広がって、自由になれるのではないか。
そんな議論がありました。
本物は何かを決めない、正解はない、
気づいていないかもしれないけれど、
実はひとりひとり自分の中に何かちゃんと持っているから、
それを引き出してみよう、自由にやってみよう。
そういう考えが、知ったかゼミの一つの考え方にある気がしています。
だから、ゼミを通じて、
ひとりひとりのそれぞれの考えを持ち寄って「触発」していくこと、
教える者と教わる者という一方通行な関係ではなく、互いに刺激しあって、
また新しい視点や考えが広がっていくのかな、
そうなればいいなと、これからが楽しみになりました。
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